※この記事が役にたったと思ったら・・・
【応援ポチ】っと、宜しくお願いいたします! もっと頑張っちゃいます!
【唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知である。】
こんにちは。藤間誠二です。
今日は、「ネットの世界で戦うために必要な思考」についてお伝えします。
あなたもご承知の通り、我々が活用しているインターネットの世界は日々目まぐるしく進化しています。
その際に絶対に必要となるモノの見方があります。
これを知っているか知らないかで、あなたの人生は大きく変わってしまいます。
紀元前469年頃の古代ギリシアの哲学者「ソクラテス」という人物を知っていますか?
彼は現代でも通じるモノの見方について格言を残しています。
おそらく一度は聞いたことがあるハズです。
「真の賢者は己の愚を知る物なり」
これを解説します。
このモノの見方が分かるようになれば、あなたはこのスピードある時代で取り残されずに済むようになるんです。
どういうことかと言うと、、、
この世の物事は絶え間なく変化し続け、何事も同じ形をとどめ続けることはできない。
あなたが「これは真実だ」と思っていても、それもやがて真実ではなくなってしまう。
ってことです。
以下は調べれば出てくる話ですが、具体的な考え方の例を記載します。
ある貧しい村に1人の農夫が住んでいました。
農夫は村人から裕福だと思われていました。
というのも彼は1頭の馬を飼っていて、これが農耕や荷物の運搬で役立ったからです。
ある日、その馬が逃げ出しました。
すると近所の人たちはひどいことだと大騒ぎしましたが、彼はただ、「そうかもしれないし、そうでもないかもしれない」と答えました。
数日後、その馬が2頭の野生馬と一緒に帰ってきました。
近所のひとたちはみな大喜びして、なんと幸運なんだと農夫に言いました。
しかし農夫はただ「そうかもしれないし、そうでもないかもしれない」と答えました。
その翌日、農夫の息子が野生馬に乗ろうとして振り落とされました。
息子は足の骨を折るけがを負いました。近所の人たちは同情し、農夫になんという運の巡り合わせだろうかと語りました。
しかし農夫はまた「そうかもしれないし、そう出ないかもしれない」と言いました。
その翌週、兵隊たちが村にやってきて、健康な若者たちを徴兵して連れて行ってしまいました。
しかし、農夫の息子は足の骨が折れていたため入隊を免れました。
近所の人たちがなんという幸運だといい、農夫は「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」と答えました。
これを読んで意味が理解できた人は、おそらくすでに成功しているハズです。
何のことか分からないという人のために、少し噛み砕きます。
リフレーミングという心理戦略があり、「ある出来事の意味は、私たちがそれを認識する”枠”(フレーム)次第でどうにでも変わる」ということです。
要は、私たちがフレームを変えれば、その意味も変わるってことです。
例えば先ほどの農夫の話ですが、2頭の野生馬を手に入れた時、それは良いことだと思われました。
しかし、それも農夫の息子が足の骨を折るまでの話です。
平和な農村の暮らしの中では、足の骨を折るという出来事は不運な出来事だと思われたから。
しかし、徴兵という話になった途端、それは幸運な出来事に見えてきます。
この考え方、物事の捉え方はビジネスをする上という次元の話だけではなく、人生そのものの中で非常に重要になってきます。
もしかしたら、あなたは今現在、ものすごく大変な境遇かもしれません。
しかし、今の苦悩を単に苦悩と捉えること自体が、もしかすると物事を見通す”フレーム”が少し間違っているだけなのかもしれません。
なぜならこの私も「クソみたいなドン底な人生」を味わってきましたから。
今だから見える景色、過去の出来事をフレームを変えて見てみると当時は見えなかった景色に遭遇します。
だから強く発信できるんです。
先日も書きましたが、結果には必ず原因があります。
その原因の見方をフレームを変えてみると、全く違う結果に修正することも可能だってことです。
迷ったり、悩んだりしたら、今見えているフレームを変えてみてください!
脱出口は必ずありますから!
こんばんは、
1つの出来事も考え考え方によっては、
良くも悪くもなってしまうのですね^^;
考え方次第で悪い事も、
良い方に持って行ける様に・・・
知識を増やしておきたいです⤴
応援ポチして帰ります!
コメントありがとうございます。
すべては捉え方しだいです。