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上杉謙信に学ぶ
上杉謙信といえば、天才と謳われるほど軍略に長けた名将で、
川中島で5回に渡って武田信玄と戦った、宿命のライバルでもある。
民を愛し、「義」をとても大切にしていた戦国武将としても有名である。
そんな謙信の行動指針ともなった上杉家に伝わる家訓十六条を紹介したい。
上杉謙信と言えば誰もが思い起こすであろう言葉がある。
「敵に塩を送る」
これは、戦国時代、遠江の今川と相模の北条の両氏から武田信玄が、経済封鎖をされ塩不足で困窮していたとき、長年敵対関係にあった上杉謙信が武田信玄に塩を送って助けたという話に基づく。
これほどまでに義理人情の武将であった。
義理堅い武将として有名な逸話が調べれば調べるだけ出てくる。
宿命のライバル武田信玄が亡くなったあと、上杉家の家臣達は今が好機と知り出陣を謙信に進言したが「若い勝頼が継いだばかりに襲うのは大人気ない行為だ」と兵を出さなかったそうだ。
また、長篠の戦で武田家が織田家から敗れると、再び家臣たちは出陣を進言しますが「人の落ち目を見て攻め取るのは不本意だ」と言って攻めることはやはりなかったのだそうだ。
戦国の世にあり謙信ほど義理、情に厚い武将は他に見当たらない。
慈悲深く義を貫いた名将であった。
そんな謙信を創りだしたのも全ては、家訓十六条があったからとされている。
上杉家家訓十六条を現代語訳と共にここに紹介したい。
一、心に物なき時は、心廣く體泰なり
⇒自分の心を見失わせるような物がない時は、心は広々として、体もゆったりとして安らかである。一、心に我儘なき時は、愛敬失はず
⇒自分勝手なわがままな心がない時は、気ままに振舞うこともなく、全てを愛し敬うことを忘れない。一、心に慾なき時は、義理を行ふ
⇒心に欲がないときは、正しい行いや理にかなった良識のある行動ができる。一、心に私なき時は、疑ふことなし
⇒心に私心がない時は、いかなる物事に対しての判断も疑う必要はない一、心に驕りなき時は、人を教ふ
⇒驕りえらぶるような心がない時は、人を敬い、初めて人をさとし教えることができる一、心に誤なき時は、人を畏れず
⇒心にやましい事がない時は、人をおそれない一、心に邪見なき時は、人を育つる
⇒偏ったよこしまな心や、間違った考え方がない時は、人を立派に育てていくことができる一、心に貧りなき時は、人に諂ふことなし
⇒貧欲でむさぼるような心がない時は、人に媚びたり、おべっかを使ったりすることがない一、心に怒なき時は、言葉和らかなり
⇒心に怒りがないときは、心が乱れず穏やかで言葉遣いもやわらかである一、心に堪忍ある時は、事を調ふ
⇒耐え忍ぶ忍耐の心がある時は、何事もととのい、成就する一、心に曇なき時は、心静なり
⇒心に曇りがなく晴々としている時は、心が清々しく澄んでいて静かである一、心に勇ある時は、悔むことなし
⇒心に勇気があるときは、いかなる事があってもくよくよ悔やまない一、心賤しからざる時は、願好まず
⇒心が豊かでいやしくないときは、無理な願い事をしない一、心に孝行ある時は、忠節厚し
⇒真に尽くそうという親孝行の心がある時は、仕事にも上役にも、自ら忠節を尽くそうとする気持ちが深い一、心に自慢なき時は、人の善を知り
⇒心にうぬぼれの気持ちがない時は、人の長所や素晴らしさがよくわかる一、心に迷なき時は、人を咎めず
⇒しっかりとした信念がある時は、むやみに人を責めたり、とがめだてたりしない
最後に
実は、この上杉家家訓十六条の上にある謙信の発想思考は今の世にも通じるものがある。
常に大義名分を重んじた発想思考は、「儲けるために何をしよう」というのではなく、
あくまでも「人のために役立つこととは何か」という意識をもって戦国の時代を生き抜いた。
自己中心的に利益ばかりを追求しなくとも、結果として成功を収めることができたのだ。
「武辺の働きは武士の常なり。百姓の耕作に同じ。武士は只平生の作法よく義理正しきをもって上とす。武辺の働きばかりをもって知行多く与え、人の頭とすべからず」
語訳:「戦場で手柄を上げるのは武士にとって当たり前のことだ。百姓が畑を耕すことと同じである。武士は普段からきちんとした作法を身に着け義理を貫くことこそが求められる。戦場での手柄だけて報酬を多く与え、人の上に立たせてはならない」
とかく我々現代人は、スキルやノウハウを身に付けることばかりに目が行きがちになる。
もちろんそれも大切なことなのだが、それよりももっと大切なことがある。
それは、自分自身がどうなりたいのか、どう在りたいのかだ。
上杉謙信の発想思考は、現在においても大切な心構えであると思う。
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