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人生は不平等
どんな境遇においても寿命がいつ尽きるかは誰にも分からない。
100歳まで生きる人もいれば、若くしてこの世を去る人もいる。
こんな出だしで始まったのにはワケがある。
知人にご不幸があり、今日お通夜に参列をした。
そこで改めて感じたこと。
それはやはり「人生は不平等」だと言うこと。
なぜなら、本人がどんなに生きたいと願っても寿命には逆らえないから。
家屋がどんなにお金や労力を遣い、生きて欲しいと願っても寿命には逆らえないから。
だからこそ、”今”目の前にある何気ない至福を感じて懸命に生きる意味があるのではないだろうか。
不平等にちなみ、今日はこんなことを書いてみたい。
人は良く「平等じゃない…」と嘆く。
そもそも世の中は平等で無いことは誰もが感じているハズなのだ。
貧富の差はいつの時代でもあり、他人と比べる必要すら無いのではと思う。
というか、他人と比較する事自体に意味が無い。
他人と比べるのをやめてしまえば、不平等がどうとか、平等がどうとか、なんて話に熱くなることもなくなる。
ただし、、、
平等・不平等にも例外はある。
それは、「学べる人や知識のある人はより富んでいく」ということだ。
福沢諭吉の著書「学問のすゝめ」で、こんな一文がある。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤きせん上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教じつごきょう』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。
ちょっと分かりにくいが、要は「人は平等でもなんでもなく、その差は知識によって生まれる」と言っている。
もう少し噛み砕くと、「どんなに貧しくとも学び続ければ富を得る。しかし、どんなに裕福だとしても学びを疎かにすれば瀕する。故に学びこそ最強で、知識を得るほど富むことができるってことが平等ではないか。」ということなのである。
少しでも不平等を埋めたいのであれば、学び、知識を得ることで解消されるのではないだろうか。
結局のところ
「平等じゃない…」という理屈そのものがおかしい。
平等に扱って欲しいのであれば、扱ってもらえるだけの対等な所まで登れば良いだけのことだから。
物事は至ってシンプルだったりする。
こんにちは!
素敵なブログですね!
言葉が心に響きました…。
不平等だからこそ、人はみんな必死で生きられるんですね。
平等なんて、つまらない世界でしょうね。